“YOUR LIFE IS YOUR MESSAGE”

※この物語はフィクションです

初回なのでお手柔らかにお願いします

 

どうも。

 

わたしです

 

 

2年前まで嵐を離れていたオタクがブログを開設しました。

 

(初回の記事なので、今回はわたしが嵐を離れた経緯と戻った理由を記したいと思います。)

 

わたしが嵐ファンに戻った2年前の2015年というと、

アルバムでは「Japonism」、

シングルでは「Sakura」「青空の下、キミのとなり」「愛を叫べ」がリリースされた年です。

個人活動で言えば、相葉くんは「ようこそ、わが家へ」、

二宮くんは「オリエント急行殺人事件」「赤めだか」「母と暮らせば」などなど…

自担の翔くんはこれといった大きな出演作があった年ではありませんね。

(翔くんは2015年も当然世界一かわいい子でした)

 

さてさて、

わたしが嵐を離れたきっかけは、

K–POP(以下、ケーポ)沼にどハマりしたことにあります。

ちなみにいまもどハマりしています…。

ケーポ沼についてはまた後日記事を書こうと企み中です。

 

ケーポにハマりだしたのは2013年あたりなので、

簡単に言えば2013〜2015年までのバラエティ番組や音楽番組の記憶がすぽっと抜けている形です。

2013年以前は、

バラエティ番組は当然毎週録画+できればリアルタイム視聴

音楽番組は録画+できればオタクと一緒にリアルタイム視聴

アルバムが出ると決まればカウントダウンをして

コンサートに行けるとなればうちわを手作り公式Tシャツを参戦服としてアレンジ

コンサートに外れたとなればグッズのみ参戦して

それからオタクとDVDを見ながらあーだこーだ語らい……

そんなどこにでもオタクでした。

 

わたしの場合嫌いになって嵐を離れたわけではなく、

他の沼に興味を持ったことが原因で自然と離れてしまったので、

音楽番組に出れば録るし、

コンサートに行ければ行きたいし、

わたしのお給料が全額翔くんの口座に振り込まれる仕組みを作りたいと思っていました。

 

 

そんな中、知人が声をかけてくれたご縁があって参加したJaponism公演にて

わたしは"目撃"したのです。

そう、あれは他でもなく"目撃"でした。

 

彼にとっては、

またはそれまで熱心に追っていたファンたちにとっては、

なんら普段と変わりのないソロステージでした。

でも3年ぶりにステージ上での彼を肉眼で確認したわたしにとっては、

あまりに衝撃的で

まるで雷に撃たれたかのように彼の姿以外の景色がなにも見えなくなり、

 

まるで

 

まるで彼がわたしのためだけにパフォーマンスをしているかような

そんな、感覚に襲われたのです。

 

 

"もう闇の中へ逃げよう

僅かな光の強さを見せよう

もう離れなくていいんですよ

だから…  傍にいてよ

 

汚れたまんまでもいいの

夢の中まで逃避行

いつも現実は強引で

Rolling Rolling day"

 

 

え〜〜〜〜ケーポハマったまんまでもいいの〜〜〜。・°°・。°(°`ω´ °)°。・°°・。

しょおくんすき〜〜〜。・°°・。°(°`ω´ °)°。・°°・。。・°°・。°(°`ω´ °)°。・°°・。

 

歌詞にある通り、

始まりはいつだってあって、

いつも現実は強引で、

終わりなんて怖くないんです。

 

わたしはこのソロを目撃して、

脳天ぶち抜かれて目を覚ましました。

 

わたしが今櫻井翔を推さなくて誰が推すんだ、と。

わたしが彼の人生を、彼からのメッセージを受け取らなくて誰が受け取るんだ、と。

 

 

きっと、アイドルとはそういう才能がある人が向いている職種なんでしょうね。

わたしが推さなければ誰が推すんだという使命感を感じている彼には、

吐いて捨てるほどのファンがいて、

わたしがお給料を全額振り込みたいと思っている彼の口座からしたら、

わたしのお給料なんぞははしたお給料で、

でもわたしは確かに、

"他でもないわたしが彼を応援しなければいけないんだ"、という使命感を感じたんです。

 

 

"そんな"はずはないのに"そう"に違いないと思わせられる

そんな人がアイドルになるべくして生まれた人なんだと思います。

 

そしてわたしが見てきた櫻井翔

確かにそういう人なんです。

 

収集がつかなくなったところで強引にまとめますと、

つまりはこういうこと。

 

 

櫻井翔くんは

稀代の大天才ウルトラミラクルリーサルウェポンオールオアナッシングスーパーアイドルである!!!!!

異論は認めない。